新潟家庭裁判所高田支部 昭和43年(家)915号 審判 1968年6月29日
申立人 村野安太郎(仮名)
事件本人 村野育子(仮名)
親権に服する子 村野由紀子(仮名) 外一名
主文
本件申立を却下する。
理由
(申立の趣旨及び事件の実情)
申立人は、事件本人がその親権に服する子である村野由紀子、同村野正夫に対する親権喪失を宣告するとの審判を求め、申立の実情として次の通り陳述した。
一、申立人は本件親権に服する子村野由紀子、同村野正夫の伯父にあたるものである。
二、事件本人は右両名の親権者母であるところ、昭和四三年一月二三日、当時病気療養中の夫村野光男と右二人の子を置いて、使用人の松本大助と駈落ち家出した。
三、事件本人の夫村野光男は申立人と媒酌人安田五郎に宛て「子供達のことは頼む、事件本人の行為は許せない」旨の遺言書を残して、同年二月二七日の夜、もしくは翌二八日早朝、申立人宅において睡眠薬を飲んで自殺をはかつた。
現在、親権に服する二人の子(由紀子、正夫)は安田五郎に引き取られている。
四、子供達の将来ならびに現在子供達が安田五郎になついている状況からすると、事件本人に親権を行わせることは不適当であるから、これが親権喪失の宣告を求めるため本申立に及ぶ次第である。
(当裁判所の判断)
一、申立人が事件本人の親権に服する村野由紀子、村野正夫の父村野光男の実兄で伯父の関係にあることは、申立人提出の戸籍謄本の記載により明らかであるから、申立人は本件申立のできる親族である。
二、申立人提出の「村野光男から村野安太郎、安田五郎宛の遺言書」「村野光男から安田五郎宛の書状」、「村野光男から村野由紀子、村野正夫宛の書状」、「誓書」、「村野育子から安田五郎宛の書状」、「死亡診断書」ならびに家庭裁判所調査官の申立人、事件本人、村野由紀子、村野正夫に対する昭和四三年五月二日付調査報告書及び事件本人に対する同年五月四日付調査報告書に当裁判所の申立人及び事件本人に対する各審問の結果を総合すると次の事実を認めることができる。
(1) 事件本人と村野光男とは昭和二六年中事実上の婚姻をなし、昭和三〇年その届出を了したもので、両名の間に由紀子(昭和三二年四月三〇日生)正夫(昭和三四年一一月二五日生)が出生した。
(2) 村野光男は最初○○○○販売、後に○○販売や○○○○○の取付業を営んでいたが、大量の飲酒から遂に昭和四一年頃アルコール中毒気味になり、以来屡々入院治療を受けるも全快するまでに至らなかつた。
(3) 事件本人と村野光男との夫婦仲は漸次冷却し、時折衝突した末、事件本人が二人の子を連れて実家に戻ることがたびたびあつたが、昭和四三年一月二三日事件本人は光男との離婚を決意し、自己より一三歳も年下の店員松本大助と家を出て静岡県○○市に駈落ちした。
これを知つた光男は痛憤悲嘆の末、同年二月二七日夜、睡眠薬を大量に服用して申立人方物置内で自殺を図り、翌二八日夜急性心臓衰弱症により死亡するに至つた。
あとに残された二人の子は、事件本人と光男の結婚の媒酌人であつた安田五郎が引き取つた。
(4) 事件本人は同年二月二九日夫光男の死亡を知り松本と別れて帰宅し、同年四月二一日より前記二人の子を安田方から引き取つて現在一緒に暮している。事件本人は今後とも松本と結婚する意思はなく、音信も交わしていない模様である。由紀子、正夫の二人は従来事件本人から可愛がられて育てられて来たためか、事件本人に対し、自分達を捨てたことについてあまり憎しみを持たず、却つて今後事件本人と暮すことを望んでいる。
三、以上認定の事実によれば、事件本人が夫以外の男と不倫の関係に陥り、夫や幼けない二児を捨てて他所に駈落ちしたことは、二児の親権者である事件本人に著しい不行跡があるということができるが、事件本人が二児を放置していた期間は三ヵ月足らずであつて、どちらかといえば短期間であり、松本との不倫の関係も解消され、現在は帰宅して謹慎し、二児と共に睦まじく暮している状況にあつて、かつて事件本人が二児に対して愛情を欠く仕打ちをした事実が認められず、右二児において事件本人を慕い今後とも事件本人に養育されることを望んでいる事情が認められる本件においては、過去における事件本人の不行跡を取りあげ、この故をもつていま事件本人の二児に対する親権を喪失させる挙に出ることは、他の親権者たる父を失つた二児にとり、その福祉上決して望ましいことではない。
四、よつて、本件申立はその理由がないことに帰するからこれを却下すべきものとし、主文のとおり審判する。
(家事審判官 渡辺桂二)